苦しみが生まれる根本原因と「3つの心の層」
そもそも全ての苦しみは、
「自分」という実体がある
という錯覚から生じます。
仏教では、自分があるという錯覚を
有身見(うしんけん)
と呼んでいます。
この錯覚がないと、全ての現象にしがみつくことはありません。
「それが起こっている」
これだけです。
・ただ誰かの声が聞こえた
・ただそう思った
・ただ痛みが生じた
だから苦しみは生じません。
ところが「自分」という錯覚が生じると、
・「自分」を存続させたい
・「自分」が良い状態でいたい
・「自分」が嫌な状態になりたくない
という心が生じ、物事を自分の思い通りにしようと、
しがみついたり、拒絶したりするようになります。
誰かが話している声が聞こえた
↓
「私」の悪口を言っていると思い込む
↓
傷つく(苦しみ)
↓
悪口を言われないよう、人に迎合する(苦しみ)
「あの人嫌いだな」と思った
↓
「私」ってなんでこんな考えをしてしまうんだろう。
そんな考えを持ってはダメだ↓
自己否定(苦しみ)
このように、単に生じた出来事や感情を「自分」と結びつけ、
しがみついたり拒絶したりすることで、苦しみが生まれます。
「自分」という錯覚によって、全ての苦しみが生まれるから、
仏教の修行も、この「自分」という錯覚を晴らしていくことを目的としています。
「自分」という確たる実体はないと理解し、その錯覚から解放された状態を「悟り」と言います。
一切の苦しみが生じなくなった状態です。
苦しみが生じる「3つの心の層」
この苦しみが生まれる過程を、私は「3つの心の層」に分けて説明しています。
第1の層
自分という錯覚が生まれる層。
「私は見る」「私は考える」「私は感じる」etc
人間を含め、全ての生命は、
快感(気持ち良い)と不快感(気持ち悪い)
を感じます。
自分という錯覚が無ければ、ただそれだけ。
快・不快を感じるだけです。
そこに苦しみはありません。
でも、「自分」という錯覚が生じると、このように心が動きます。
単なる快感
↓
「自分」の快感
↓
好き
↓
追い求める
単なる不快感
↓
「自分」の不快感
↓
嫌い
↓
拒絶する、逃げる
この為、
・快感が消えること
・不快感が生じること
が、苦しみになるのです。
人間のみならず、生命全てが感じる苦しみで、
「自分」という錯覚が晴れない限り続きます。
非常に単純な心の動きですが、
第2の層、第3の層の影響で、快(好き)・不快(嫌い)は抑圧されることも多いです。
第2の層
「こういう人間」という自分像が作り出される層です。
第1の層で「自分」という存在を感じることで、
「自分はこういう人間でありたい・こういう人間でなければならない」
という自己像が生まれ、善悪の基準、価値観 につながっていきます。
・優しい人でありたい
・人の役に立つ人間でありたい
・こうでなければ価値が無い、存在できない
・〇〇できない自分はダメだ、存在してはいけない
・だから〇〇しなければならない
そして、その「こういう自分」から外れることで、
罪悪感・怒り・不安・自己犠牲・他者優先・トラウマ
など、様々な苦しみが生じることになります。
この層の心の動きは、自覚できないことが多いため、
「なぜ苦しいのか、自分でもよく分からない」
ということが起こります。
そのため、セッションでも、この層を重点的に扱うことが多いです。
第3の層
第2層の反応が繰り返されて、
「性格・反応パターン」
として定着する層です。
・私は人に気を遣う性格
・自分はちょっと怒りっぽい
・人からよく〇〇な人と言われる etc
普段、多くの方が「自分の性格」として自覚している部分です。
ここでも、様々な苦しみが生じます。
3つの層をまとめると、以下になります。
第1の層
「自分」という錯覚
↓
第2の層
「こういう人間でありたい・こういう人間でなければならない」という自己像。
↓
第3の層
「こういう人間」が繰り返された性格・反応パターン
この3つの層は、因果関係にあります。
苦しみを根本から理解するには、この3つの層すべてを観察する必要があります。
セッションでは、まず第3層、第2層の心を明らかにしながら
次第に第1の層にもアプローチし、
・「自分」の気持ち
・「自分」の考え
のように、「自分」という錯覚にしがみつかず、
心に生じるものを、ただ「生じたもの」として観られるようになる。
そのように、苦しみの根本から解放される方向へ導きます。