生きづらさ改善カウンセラー(じゅん)
まずは、簡単に、私のプロフィールをご紹介させて頂きますね。
- HSP気質で、子供の頃から生きづらさを感じやすかったです。
- また、頻繁にキレるなど感情的で支配的だった母や、
否定的な言動が多かった父の元で育ち、
アダルトチルドレンになりました。 - 自己肯定感が低下したことも影響して、
10歳で強い対人恐怖症を発症し、
人とのコミュニケーションが困難になります。 - 悩みがちな子供時代を過ごした影響か、高校生の頃から、
「生きるとは何か」
「真理とは何か」
を追求するようになります。 - 20歳で医療ミスにより半寝たきり状態に。
- 25歳の時、失恋によってウツ発症。
- 30歳になってカウンセリングを受け始めることで、
悩みが軽減していき、心理学にのめり込みます。 - 一方で心理学に限界の感じるようになり、
そんな時、仏教に出会い、瞑想修行を始めました。 - 瞑想をするごとに智慧がついていき、
「苦しみとは何か」を理解するようになります。
だんだんと、苦しみから解放されていきました。 - その後、縁があって、心理カウンセラーとなり、
現在は、仏教の智慧と心理学の手法を活かして、
楽に生きるアドバイスをしています。
詳しいプロフィールは、以下でご紹介しています。
カウンセリングをご希望の方は、ぜひ、詳しいプロフィールをお読み頂き、私の人となりや、カウンセリングにかける想いを知って頂けたらと思います。
どうぞ、お時間を作ってお読みください。
HSPな敏感気質として生まれる
私は、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)として生まれました。
HSPとは、「人いちばい繊細な人」という意味で、生まれながらに、人の言動や感情、音、光、匂いなど、周囲の環境に敏感な人のことです。
私も、常に人の顔色や気持ちをうかがったり、音や匂いに敏感な子供でした。
そんな敏感な私は、家族の言動にも大きく影響を受けるようになります。
アダルトチルドレンとして傷ついた小学生時代
小学生になると、母が頻繁に怒るようになりました。
今考えれば、責任感の強い母は、仕事に家事に育児に、とても気を張り、疲れていたのだと思います。
でも私は、何で怒られているのかもわからず、茫然とすることが多かったです。
急にキレて、物を投げてくることもありました。
また心配性のため、子供を監視したり、生活全般をコントロールしようと、支配的・過干渉になることも多かったです。
そんな母のことが怖くて、いつも母の顔色をうかがって生活していました。
今でも、人から怒られたり、批判されたり、監視されている感覚は抜けません。
父の心無い言葉で、自己肯定感が低下
父は、悪気はないのですが、空気を読まず、思ったことをストレートに言うタイプ。
子供に対しても、「これを言ったら傷つくかも」という配慮が欠けていて、小学生時代は、頻繁に心無い言葉をかけられました。
- 生意気だ
- ワガママだ
- 自己中だ
- どうしようもない
こういった言葉をかけられたことで、自己肯定感が一気に低下し、いつも「自分はダメな人間なのだ」と自分を責めるようになりました。
仲間外れをきっかけに、10歳で対人恐怖症に
周囲との違いに敏感になり始めた10歳の頃、何となく周囲の女子と自分が違うことに気がつきます。
また、周囲の女子も私に違和を感じ、次第に女子から疎まれ、仲間外れ的な対応を受けるようになりました。
家族の中で自己肯定感を低下させていた私は、「自分はおかしな人間で、おかしな人間は嫌われる」という思い込みを抱きます。
人から嫌われていると思うと、人が怖くなり、徐々にコミュニケーションが上手く取れなくなっていき、対人恐怖症を発症します。
対人恐怖は、カウンセリングと出会うまで、20年続くことになりました。
対人恐怖症が悪化した中学時代
中学生時代、対人恐怖もかなり強まっていました。
緊張のあまりクラスメートとまともに話すことができなくなり、どもったり挙動不審な対応を取るようになります。
クラスメートから見れば、そんな私は、若干、薄気味悪かったことでしょう。
男女問わず、悪口を言われるようになりました。
「暗い、気持ち悪い、何を考えているかわからない、皆があなたを嫌っている etc 」
親切心なのか、「あの人があなたの悪口を言っているよ」と、わざわざ事細かに教えてくれる人が何人もいたので、直接耳に入らない陰ロも、間接的に知ることができました。
学校は針のむしろのように辛い場所になりました。
中学時代は、とても苦しい時期で、だからでしょう、記憶も少しぼんやりしています。
対人恐怖に慣れながらも、ヘトヘトに疲れる高校時代
恐らく、対人恐怖は、高校時代が1番が強かったと思います。
それでも、恐怖心は長く続くと慣れていきます。
また、中学時代、悪口を言われ嫌われ続けたことが教訓となり、恐怖はありながらも、それなりに人と上手く付き合うことができるようになっていきました。
表面上は対人恐怖症のそぶりを見せずに振舞い、でも緊張や恐怖心で毎日ヘトヘトに疲れる、
そんな日々が、この時から10年以上続くことになります。
「生きるとは?」「真理とは」
悩みがちな子供時代を過ごしたからでしょうか。
高校生の時から、
「なぜ生きているのか」
「生きると何か」
「真理とは何か」
といったことに強く関心が出て、答えを模索し続けるようになります。
キリスト教、トランスパーソナル心理学などに興味を持ちますが、
答えは見つからず。
結局、35歳の時に仏教に出会い、「これが真理だ!」と分かるまで、悶々とした気持ちのままでした。
20歳で始まった原因不明の体調不良
大学入学と同時に実家を出て一人暮らし。
親から自立し、友達もいなかった地元から離れたことで、とても大きな解放感と自由を味わいました。
生まれて初めて、人生が楽しいと感じ、青春時代を謳歌しました。
ところが、そんな楽しい生活も長くは続きませんでした。
大学3年になると、原因不明の体調不良が始まったのです。
めまい、吐き気、頭痛・頭重、倦怠感、身体のこわばりなどで、起き上がることもままならなくなります。
病院で様々な検査をしても原因は不明で対処法がありませんでした。
「こんな身体で将来どうなるのかな?」という不安を感じ始めます。
元の身体には戻らない可能性が高いと言われて。。。
体調不良の原因が、医療ミスだとわかったのは、2年後のこと。
大学3-4年生の時、病院から処方されてアレルギーの薬を飲んでいたのですが、その時の薬が極めて不適切なものだったことが判明したのです。
就職の為に引っ越し、病院が変わったことがきっかけでした。
新しい病院でそれまで飲んでいた薬を告げたところ、診察していた先生は絶句され、しばらくの沈黙の後、次のようにおっしゃいました。
「この薬は、極めて重い病気・症状の場合に一時的に飲む薬です。
じゅんさんの症状で処方する薬では断じてありません。
こんなに強い薬を2年間も飲み続けたら、身体がボロボロになっているはずで、もう元の身体には戻れない可能性が高いですよ」
先生の言葉を聞いた時、あまりの衝撃で頭がボーとなり、
「この先生の様子が、『絶句』というものなんだなあ。初めて見たなあ」
と、どうでも良いことを考えていたのを、よく覚えています。
体調不良に苦しみ続けた25年
それから25年以上、現在に至るまで、体を治すために様々な医学的な勉強をし、健康体に戻そうと頑張りました。
しかし、改善することはなく、良くなったり悪くなったりを繰り返して、現在に至ります。
大学時代から続いためまい、頭痛・頭重などの症状の他、身体中の謎の痛み、体温調節機能の著しい低下、呼吸困難など、様々な症状が加わっていきました。
20~30代にかけて、酷い状態の7年は、外出もままならず半寝たきり。
救急車を呼ぼうと思ったことは数十回、このまま苦しさのあまり死ぬのではないかと思う時もありました。
痛みで泣きながら七転八倒したり、嘔吐が止まらない時など、切なさと絶望感で打ちのめされました。
普通に生活をできている人が羨ましく、
「なぜ自分だけ、こんなに苦しい思いをしなければならないのだろう」
と自分の人生を恨みました。
この体調で、どうやって生きていったら良いのか・・・
就職してからも一人暮らしだった私は、どんなに具合が悪くても、稼がなければ生活できないし、家事も誰もしてくれません。
でも現実は、トイレも這って行かなければならないほど症状が悪い時期もあって、
「これからの将来、1人でどうやって生きて行ったら良いのか」
と極度の不安・恐怖に陥いりました。
不安で不安で、怖くて怖くて、心細さで一杯でした。
失恋でウツに
そんな体調不良に悩む私に、更なる苦しみが襲います。
25歳の時、6年付き合っていた恋人と破局するのです。
彼は唯一、私が対人恐怖を感じない人でした。
誰といても、緊張と恐怖でヘトヘトになるのに、彼には自然に接することができて、彼と過ごすことが、私の安らぎでした。
そんな心安らぐ彼にどっぷり依存していた私は、別れると1人では生きていけない心境になります。
寂しくて寂しくて耐えられない。
もう、人生が終わってしまったような感覚で、毎日泣き崩れ、朝は起き上がれなくなり、気が狂いそうなほどの絶望感を抱きました。
私はウツになっていました。
パニック障害を発症
体調不良によって不安や恐怖心でイッパイの上に、更にウツになったことで、ますます感情がコントロールできなくなりました。
不安を感じると、
心臓がギュッとつかまれたような嫌な感じ、動悸、冷や汗、叫びだしたいような・暴れたいような・じっとしていられない感覚。
そんな症状が出るようになりました。
パニック障害も併発したのです。
死にたいのに死ねない苦しさ
体調不良、ウツ、パニック障害で、すっかり心身が消耗した私は、このあと何年も、生きる希望を失い、自殺願望に苛まれるようになります。
「完全自殺マニュアル」は愛読書でした。
それでも、死ぬときの苦しさを考えると実行に移せません。
生きているのは無理なほど、死ぬ以外考えられないほど、苦しい。
でも死ぬのも怖い。
死にたいのに死ぬこともできないジレンマに陥り、更に絶望感・苦しさは増していきました。
人生とは一体何なのか?
対人恐怖、体調不良、ウツ、パニック障害、自殺願望。。。
さまざまな苦しみに、私は打ちのめされていました。
どんなにもがき苦しんでも、どこにも出口のないような絶望感。
そんな中で、がんじがらめになっていました。
「人生とは一体何なのか?」
考えても考えても、答えが出ない苦しみの中にいました。
私にとって、「生きる」とは、何の希望も感じられない、苦しいだけのものでした。
カウンセリングとの出会い
そんな苦しみの中でもがいていた時、知人の紹介でカウンセリングを受けるようになって、人生が一変します。
カウンセリングを受けるごとに、知らない自分と出会い、重荷を下ろし、自分が変わっていくのです。
家族は問題を抱えていて、そんな家族の影響で自分がアダルトチルドレンになったことも、初めて知ることになります。
当時は、カウンセリングが魔法で、カウンセラーが魔法使いのように感じて、とても驚き、感動を覚えました。
ふと気がつくと、対人恐怖、ウツ、パニック障害、自殺願望が軽減していました。
仏教・瞑想との出会い
カウンセリングを受け始めて、内面がドンドン変わり、悩みが小さくなっていっても、
加速していく体調悪化を受け入れることは難しいことでした。
苦しみが軽減したことで、心理学にのめり込んでいましたが、
一方で、心理学に限界も感じます。
そんな時、お世話になっていたカウンセラーさんに、
「仏教」「瞑想」をご紹介頂きました。
仏教に出会い、
「これが、高校生の時から探し求めていた真理だ!」
と衝撃を受け、その後の人生が大きく変わっていきます。
瞑想で、体調不良も受け入れられるように
仏教に出会ってから、主に瞑想に励みました。
瞑想を行うことにより、心理学では解決できなかった悩みへの対処方法も、身についていきました。
例えば、私にとって、
強い体調不良を受け止めることは、困難なことでしたが、
仏教の智慧のおかげで、体調不良があっても、心が苦しまないようになっていきます。
- あれこれ考える「思考」
と
- 苦しんでいる「身体・感覚」
を分けて、とらえられるようになったのです。
また、同じように、「思考」と「感情」を分けて捉えられるようになり、
思考にハマり込んだり、感情に巻き込まれることが減っていきました。
心理学だけでは難しかった改善が、仏教の智慧によって、大きく前進しました。
自分の人生、これで良かった!
体調不良を受け入れられるようになると、「自分の人生はこれで良かったのだ」と思えるようになりました。
もちろん、今でも強い体調不良に見舞われると、心がめげそうになります。
それでも、
「体調が悪くならなければ、私は心の間題にここまで真摯に向き合うことはなかった」
と思え、自分の身に起こる全てのことは、自分が成長するための必然なのだと受け止められるようになりました。
人生を受け止められた時、心はとても軽くなりました。
常に肉体的不調を抱える私にとっては、生きること、生活することは決して楽なことではありません。
それでも、命を無駄にせず必死で生きてみよう、そう思えるようになったのです。
家族の仲も良好に
カウンセリングや仏教と出会う前は、家族とよくケンカしていました。
しかし、カウンセリングや瞑想実践によって、私の心には余裕が生まれました。
家族はみんな苦しみながら、でも必死に生きていることが、わかるようになったのです。
気がつくと、そんな家族のことを、受け入れられるようになっていました。
そして、私が家族を受け入れたら、家族も変わりました。
特に母は、人が変わったように、穏やかで優しくなりました。
今は、母と、とても仲好しになり、良い関係を築いています。
家族を尊重し、良い関係を築けることができるようになったことは、とても嬉しく、幸せなことでした。
心理カウンセラーとして、悩める人をサポート
仏教・瞑想と出会って、心も大きく変わりましたが、
当時の私は、瞑想実践だけで苦しみに向き合うことも、また困難なことでした。
そこで、瞑想と並行して、引き続き、心理学も学んでいきます。
仏教と心理学。
両方を学ぶことで相乗効果が高まり、今思うと、非常に良い選択でした。
そして、縁があって、気がつくと、心理カウンセラーになり、悩める方々をサポートする立場になっていました。
「楽になる道」をお伝えしたい
ずっと「苦しかった人生」は、
「ただ、なすべきことをする毎日」に変化していました。
身体や心の快感・快楽を追い求め、不快さから逃げようと、
心をざわめかせるのではなく、
空をただよう雲のように、
川を流れる水のように、
現実に逆らわず、現実に身をまかせ、
あるがまま、生きる。
ただ、自分がすべきこと、
なすべきことをする日々です。
それは、とても解放感があり、「楽」なものでした。
私は、自分が体感した、経験した「楽になる道」を、皆さんに伝える使命があると、感じています。
それが、私にとって、「なすべきこと」の1つです。
これからも、毎日、心を鍛えつつ、
自分が体感し、経験した「楽になる道」を、皆さまにお伝えしたいと思っています。
皆さまの良いご縁となれますように。。。
プロフィールをお読み頂き、ありがとうございました。
皆さまと、良いご縁ができましたら、嬉しく思います。
カウンセリングにご興味をお持ちいただいた方は、下記よりご予約下さいね。