「善友」の大切さ
仏典に、有名なエピソードがあります。
ある時、弟子のアーナンダが、
ブッダに尋ねました。「善き友、善き仲間とともにあることは、この聖なる道(仏道)の半ばにあると思いますが、いかがでしょうか?」
ブッダは次のように語りました。
「アーナンダよ、そうではない。そうではない。
善き友、善き仲間とともにあることは、聖なる道(仏道)の半ばではなく、その全てである。
善き友をもち、善き仲間の中にある者は、聖なる道を修め、成就することは、もはや約束されているからだ。」
「聖なる道(仏道)」とは、苦しみから解放される道のことです。
苦しみから解放されるためには、
「善友の存在が全て」
とまで、ブッダはおっしゃられているのですね。
善友は、
- 単なる仲の良い友達
- 気の合う友達
- 自分にとって都合の良い人
といった、「好き嫌い」で選ぶ対象ではありません。
「善友」は、「法友」とも呼ばれますが、
(仏教の)正しい道理を教え、苦しみを無くす方向へ導いてくれる人
であり、
仏法の話の出来る仲間、
苦しみを無くす道を一緒に切磋琢磨する同志
のことです。
師や、修行の先輩も、もちろん善友です。
ですから、仏教徒や出家僧にとって、善友の一番は、ブッダになります。
まとめると、こんな感じですね。
- 正しい方向に導いてくれる 師・先生
- 「より良い人間になろう、心を高めよう」
と精進する動機づけをしてくれる人
良い影響を与えてくれる人 - 心を清らかにし、苦しみを滅する為に、共に修行する仲間
- 時に、耳に痛いことも言ってくれる存在
こういった、善友を得ることができる機会を提供し、
善友たちと共に、心を成長させる・高めるためのコミュニティの一環として、
グループワークを主催しています。
最近、特に、
グループワークに参加される方同士の交流が、生きづらさの改善に重要な役割を果たしているな、と感じます。
要は、「善友」の存在によって、心にとても良い影響が生じていするのですね。
そういった様子を見させて頂き、主催している私も、大きな力を頂いています。
少しでも、「善友の存在の大切さ」を知って欲しいと思い、
今回は、グループワークの参加者のやり取りを、一部、ご紹介します。
グループワークの場にKさんが居ることで、なんだかすごく安心する気持ちになりますし、言葉の選び方や伝え方に滲み出る人柄に惹かれます。
Kさんが気がつかいない所で、Kさんに感謝している人間がひとり居るということです。
また、Sさんが、こうしてご自身のことを教えてくださり、私はとても有難く思っています
「あー、Sさんに出会えてよかったなぁ。」
そして、わたしもSさんの心が穏やかである手助けが出来ないかなぁ
と考
ただ、私はこんな風に動いてくださるSさんに非常に感謝していると同時に、
わたしの中では小さなSさんを感じます。
小さなSさんは、きっとひとりで抱えてひとりで解決しようとしていたのではないでしょうか。
「自分は期待に応えるべき、でも人には期待しない、期待するだけ無駄」と。
だから、Sさんには、「心のうちを言ってごらん」と伝えたいです。
最近思うんです。
相手を知ろうとすると、見えてくるものがあるなぁと。
先日、Aさんが、
「与えるほうも受け取るほうも、上手になるといいなぁ」
ということを仰っていましたが、本当にその通りだなぁと感じます。
みなさんに感謝しています
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