全ての人間が懸命に生きている

先日、とあるグループワークに参加してきました。
その時に感動する出来事があったので、記事したいと思います。

人は、一生懸命生きている姿に感動する

グループワークの中で、自分がどのように心の問題に向き合っているかについて、話をしました。
すると、参加者の1人が私の話を聞いて泣かれたのです。

苦労してきているのに、投げ出さずに一生懸命生きていることに感動した。

私の場合、自分の話をすると、同じような反応が返ってくることが比較的多くあります。
それだけ、客観的に見ても私の人生は苦労が多いものだったのだと思います。
感動して泣かれているその参加者を見ていたら、今までの人生の大変さと、それを乗り越えようと努力してきたことを想い出し、私も感動して涙が出そうになりました。
そして、自分の生き方が人の心を動かしていることにも、感慨を覚えたのです。

私自身も、クライアントさんが一生懸命自分の問題に向き合い、幸せになろうと頑張っている姿に、心を打たれます。
時には、一緒に涙することもあります。
そして、少しずつ前進していく様子に、人間の尊さを感じるのです。

そんなクライアントさんに接していると、自分も一生懸命に頑張って生きようと、勇気をもらえます。

人間は不完全な存在ながら頑張っている

人間は不完全な存在です。
完璧な人間など存在しません。
素晴らしい純粋な部分と、弱い部分が人り混じった存在です。
愛に満ちた崇高な行動をする時もあれば、どうしようもないことをしでかす時もあります。
でも、誰もが一生懸命がんばって生きていて、お互いを助け合っています。
決して優れているわけでも、何かができるわけでもなく、自分が自分なりに前向きに生きようと、 もがいています。

そんな、不完全ながら頑張る姿に、人は感動し、愛おしさを感じるのだと思います。

自分の不完全さを受け入れていますか?

人間は、不完全で当たり前なのです。
怒ったり、嫉妬したり、自己中心的だったり、欲張りだったり、そんな弱い部分を人間は必ず持っています。

一方で、その同じ人間が、美しいものに心惹かれ、頑張る姿を見て感動し、他の生命へ思いやりや慈しみを示し、幼子を愛し守る、そんな純粋さを持っているのです。
悩んだ時、自信を失った時には、不完全な存在であることを思い出してください。
弱い部分があって当たり前、でも素晴らしい面があることも、忘れないで下さい。

一人ひとり、かけがえのない人生を送っています。
それゆえに、誰かもどんな仕打ちを受けることも、後ろ指を指されることも、あってはなりません。
人は、誰からも侵されることのない尊厳を持っているのです。

あなたは、自分の尊厳を感じていますか?
自分で自分の尊厳を踏みにじっていませんか?
「あんなことをしてしまった自分はダメだな」などと、自分を否定していませんか?

あなた自身が、自分の尊厳を認める必要があります。
自分自身であっても、自分を軽んじてはいけないのです。
自分の尊厳にぜひ気づいて下さい。

自分を受け人れると、人を受け入れられる

自分の不完全さを受け入れ、尊厳を認められるようになると、人のことも受け入れられるようになります。
「嫌な面もあるけれど、あの人も一生懸命生きていて、かけがいのない人生を送っているのだな」
と思え、愛おしさを感じるようになります。
今、人間関係で悩んでいたら、自分のことを受け入れているか、見つめて直して下さい。

まとめ

適当に人生を生きてきた人など、一人としていません。
全ての人間が、一生懸命に生きてきたのです。
たまには、どうしようもないことをすることもあるでしよう。
私も、人様には言えないようなことを、たくさん、してきました。
でも、一生懸命に生きています。
この記事を読んでいるあなたも、かけがえのない人生を歩んできたはずです。

もし、
「自分の人生は、別に大したことは無かった」
「これまでの人生は悪い事ばかり」

などと感じていたら、人生のある一面しか見ていないはずです。
ぜひ、人生を様々な角度から見て、ご自身の深みのある人生を味わって下さい。