事故にあいました ~そこから学んだこと~

 

突然ですが、10日前に、事故にあいました。

車を運転していたのですが、カーブを曲がってくる車に衝突された形です。

相手側は、右側を走っていて、更によそ見をしていて、ぶつかる寸前まで、こちらを見ていなかったとのこと。

私の方は、広くない道路だったので、逃げ場が無く、ぶつかるまでの1-2秒の間に、観念して、ぶつかるのを待つ状態でした。

 

免許を取ってから20年以上ペーパードライバー。

この9月にほほ初めて運転を初めて、車もその時に購入したので、

2か月の新車をぶつけられたことにもなります。

 

事故自体にも、色々と、想う所はありますが、

問題は、私の車の修理代に関しての、保険会社の対応でした。

 

警察は、完全に私の味方。

「明らかに、相手に落ち度があり、あなたの過失は見当たらない」

と、3回くらい、言われました。

 

 

保険会社がまっっっっったく、そのことを認めない!

まず、相手の保険会社が、

「衝突された方も、回避行動を取っていなかった可能性がある。
(私がクラクションを鳴らしていないということで)
 クラクションを鳴らさないのは過失だ
 だから、責任割合は、5対5だ」

と、相手側の右側走行や余所見運転を全く加味しない、言いがかりのような発言。

 

それを聞いて、憤っている私に対して、私側の保険会社が、

 

「だって、クラクション鳴らさなかったのは事実ですよね?
 5対5は言い過ぎかもしれませんけど、あなたにも当然過失はありますよね。
警察はあなたの過失は無いとおっしゃられたかもしれませんが、警察のいう事は、それほど信ぴょう性が無いですから。
相手側の保険会社が払わない修理代は、こちらで持ちますから、そんなこと、イチイチ気にすることでは無いですよ。」

 

と、相手の発言を正当化する始末。

 

その後、警察に確認しましたが、
クラクションを鳴らすことは義務ではないので、鳴らさないことは過失ではないとのこと。
あまりの言いがかりに、警察も呆れ、
「事故にあわれた上に、保険会社とそんなやり取りをしなくはならず、大変ですね」
と同情される始末。

 

結果的には、ドライブレコーダーの映像を見たことで、
私側の保険会社は相手に完全に非があることを認めて、現在、相手側の保険会社と交渉中です。

 

さて、今回は、一連の出来事で、私が学んだことを、お伝えしたいと思います。

 

人生では、自分ではどうしようも無いことが起こる

私は40代の後半になって、初めて車を運転し始めました。

さらに、元々慎重な性格ということもあり、自分で言うのはおこがましいですが、

相当な安全運転を心がけていました。

 

家族も、

「あれだけ、安全運転していたのに、それでも事故るの?」

と驚いていました。

 

現場検証の際、警察の方に、

「私はどんな行動を取れば良かったのか」

とお聞きしたのですが、

 

「この事故は、完全に相手の過失です。
 状況から見て、あなたにできることは無かったでしょう。
 事故にあわない為には、今日、車を運転しないとか、
 この道を通らない、ということしか無かったと思います」

と言われました。

 

つまり、今回の事故は、私側から見ると

どうしようも無かったこと

です。

 

人生では、このようなことが起こります。

自分でどれだけ努力しても、準備しても、

避けられないアクシデントということは、起こります。

 

自分の思い通りに物事は動かない

 

私達は、その事実を受け入れるしかないのですね。

 

今回つくづく、

「自分ではどうしようも無いことが、起こるんだよな」

と再認識できました。

 

 

人生では、理不尽なことが起こる

保険会社の対応は、事実をしっかり確認するでもなく、

一方的な言いがかりのようなものでした。

 

私にとっては、「理不尽」の一言に尽きます。

 

でも、このような理不尽な出来事も、人生では何度でも起きます。

 

今年は、私にとって、理不尽なことが起こりまくった年でした。

真っ当に生きていても、こちらの言い分が全然通らず、言いがかり的な対応を受けることが、非常に多かったのです。

 

そのたびに、私は、

「私の言い分には正当性があるから、こちらの言い分を認めてもらいたい」

という欲求を手ばなすよう、努力しました。

 

「認められなければ、それで良い。
 でも、人が私のことをどう思おうと、私は自分に恥じないことをする!」

と、心を強く持つように心がけました。

 

理屈が通らないことは、人生で何度でも起こります。

その時、心を平穏に保てるように、心のガラクタを手ばなしていきたいですね。

 

今日が最期の日かもしれない

今回の事故で、私は右足をぶつけて、ちょっとすりむいて打ち身になった程度のけがでしたけれど、

私達は、今日、突然、死ぬことだって大いにある訳です。

自分は生きていても、周囲の人が突然死ぬことだって、もちろんあります。

 

  • 小6の時、同級生がある日、電車に跳ねられて亡くなりました。
  • 中3の時、別のクラスの生徒でしたが、いじめが原因で、ある日、電車に飛び込んで亡くなりました。
  • 高校3年間、同じクラスだった同級生は、大学生の時、事故で突然亡くなりました。
  • 社会人になって初めての上司は、その上司が50歳くらいの時、ある日の朝、突然死しました。
    前日まで、普通に仕事をし、残業もしていました。
  • 小さい頃から可愛がっていたくれた、実家の近所のおばさんは、ある日、脳梗塞で倒れ、そのまま寝たきりで入院し、人と話すこともできないまま、3か月後に亡くなりました。
    倒れる寸前まで、元気いっぱいでした。

 

私の身の回りだけでも、このような、

「ある日突然、人が亡くなる」

ということは、決して珍しくありません。

 

私達は、私達の大切な人は、いつ死ぬか分かりません。
今日、死ぬかもしれません。

 

私達は、そのことを、強く意識して、生きる必要があります。

そうすると、無駄なことに時間を使えなくなります。

 

今回の事故にあったのは、朝の9:30でした。

その日、実家に行く予定がなかったのですが、事故の後、私は実家に顔を出しました。

「どちらかが死ぬ前に、親孝行しよう」

と思ったからです。

 

10年ほど前から、

「今日死ぬかもしれないから、1日を大切に過ごそう」

と意識しています。

でも、うっかり、日々のゴタゴタに心を奪われ、このことを忘れることもあります。

 

いつも、「死までの時間」というものを意識して、

日々を大切に生きたいものですね。