身体と心は別物 ~体調不良時の心の向き合い方~
大分、コラム投稿をさぼっていました💦
というのも、体調がかなり悪く、なかなか文章が書ける状態では、無かったからです。
最近は猛暑日が続き、体調が芳しくない方も多いかもしれませんね。
そこで今回は、ここ数か月の私の体験を元に、体調不良時の、心の向き合い方をご紹介したいと思います。
「身体」と「心」は別物
今年もちょうど半分が過ぎましたね。
私にとって、この半年間は、
「とにかく、身体がしんどい!!」
につきました・笑
20歳の時からずっと体調不良が続いていましたが、
この半年間の体調不良は、人生の中でも、そこそこ悪い状態が長く続いたほうだなあ、という印象です。
食事はもちろん、入浴や、歯を磨く、といった基本的なことが、非常に困難になり、横になっていても、苦しい状態が続きました。
呼吸も通常状態ではなく、
「もう死ぬのかなぁ」
なんてことも、頭をよぎったりはしていました。
当然ながら外出困難になり、比較的調子が良い日に、必死で買い物に出かけて、まとめ買い。
掃除は、サボれるだけサボる!
白髪なんてほったらかし。
病院や美容院も、行けるわけが無いから、全パス。
「ワクチン接種?会場に行けるわけないし、もしワクチン打ったら、確実に死にそうだ・笑」
そんな状況でした。
私の人生、これくらいの体調不良は、何度も何度も経験していますが、
そういった体調不良の時に、以前はメンタルも相当やられてしまっていました。
でも、今回は、心は全く平穏でした。
正確に言うと、多少、不安などが出そうになるのですが、
そういう思考が出てき始めたら、
「おっと、思考が出てきたぞ」
と気づき、手放してしまうので、それでお終い。
考え込む・悩む、といったことが、ほとんどありませんでした。
身体はかなり辛かったです。
でも、その辛さを、ただ眺めていました。
「ああ、ここがこんなに苦しい。。一体なんでこんなに具合が悪いんだ。果たして良くなるんだろうか。。。」
こんな思考をせずに、ただ肉体に焦点をあてて、肉体を感じ、苦痛を味わっていました。
正確に言うと、そういう思考が出そうになっても、身体に意識を向け続ける、ということですが。
つまり、
肉体の苦痛と、心のありようは、別物
なのです。
身体と心は、分けることができるのです。
肉体にいくら苦痛を感じようが、心を平穏に保つことができるのです。
だから、この半年間、私は相当の肉体的苦痛を感じていながらも、
カウンセリングの場では、「ニッコリ」笑って、お相手の方に体調不良を気づかれることなく、過ごすことができたのです。
もっと体調不良が酷ければ、日程変更をお願いするところですが、
辛うじて、変更しなくても大丈夫な状態でしたから。
全ては「無常・無我」
そして、私は全ての現象が「無常・無我」だと知っています。
無常とは、全ての現象が変化するということ。
無我とは、「変化するということは、実態が無い。固定化されたものではない」という意味です。
どんなに肉体的苦痛を感じても、永遠に続く訳でもないし、
肉体も苦痛も、瞬間瞬間変化し続けていることを、私は知っています。
だから、苦痛に固執せず、放っておける訳です。
どうせ、そのうち消えてなくなる、実態の無いものですから。
「なすべきこと」をする
この半年間、私はただ、「なすべきこと」をしていました。
肉体的苦痛を眺めることも、なすべきことです。
身体を休めることも、なすべきことです。
歯を磨くこと、入浴すること、食べることも、なすべきことです。
カウンセリングをすることも、なすべきことです。
「これしたい、これしたくない」
という欲で動くのではなく、
「今、これがなすべきことだな」
という感じで、淡々と、なすべきことを行っていました。
欲で動くとき、心は乱れます。
ポジティブ感情やら、ネガティブ感情やらが色々出て、心をかき乱します。
でも、あるがまま、なすべきことを淡々と行っていると、心は平穏です。
落ち着きがあり、「生かされている」という感謝が生じます。
なすべきことをしている時、体調が良いも悪いも、どうでも良くなります。
良ければ良いなりの生活をし、悪ければ悪いなりの生活をすれば良いだけなのです。
何も葛藤は生まれません。無理も生じません。
心は楽な状態でいられます。
この状態に至るまで、私は10年以上かかりました。
この半年を振り返り、
「あ~、ようやくこのような心境に至ったのだな」
と、少々感慨深くもあります。
出発点は、私も皆さんと同様、いつも心が苦しんでいました。
でも、諦めずに精進し続けることで、少しづつ、少しづつ、苦しみは小さくなっていきます。
もちろん、私もまだまだ精進し続けます。
大切なことは、今できること、なすべきことを、1歩ずつ進むこと。
一緒に、頑張っていきましょうね。