【依存】と【思いやり】の違い
- 人の役に立ちたい
- 困っている人を助けてあげたい
- 力になってあげたい
こういった気持ちは、一見、素晴らしいものに思えますよね。
思いやりの気持ちから出たものならば、人間としての崇高なものです。
でも、思いやりの気持ちからではなく、依存の気持ちから出ている場合も、結構多いんですよ。
例えば、親子の場合。
思いやりの気持ちで、子供の世話を焼いていても、実際には、過保護・過干渉だった、というケースは少なくありません。
親は、
「あなたの為に、こんなにやってあげているのに、なんで言うこと聞かないの!」
と怒ったりしますが、子供にしてみると、窮屈で、はた迷惑だったりします。
これは、子供に対する親の依存です。
過干渉・過保護が繰り返されると、子供は自立心がくじかれたり、無気力になったりします。
カウンセリングに来る方は、こういった、依存と思いやりの区別が付いていない場合が、非常に多いです。
それで、疲れ果ててしまっているのです。
あなたは、違いがわかっていますか?
思いやりの気持ちのつもりで、依存していませんか?
「依存」と「思いやり」の違い
思いやりの気持ちとは、自分のことはさておいて、純粋に人の役に立ちたい、という気持ちです。
自分に見返りがなくても、人を助けたい
という温かい心ですね。
また、思いやりの心を持つと、無理をしません。
自分を犠牲にしてまで、相手に尽くすことはないのです。
自分の可能な範囲内で、相手を助けます。
一方、依存は、見返りを求めます。
だから、人に親切にして感謝されないと、ガッカリしたり、怒りを覚えたりします。
見返りとは、感謝の気持ちだったり、愛情だったり、自分への服従だったり、関心を持ってほしい、などです。
また、見返りを求めるために、自分を犠牲にしてでも、人に尽くそうとします。
ですので、親切にされた側からすると、押しつけがましさを感じたり、ありがた迷惑だったりもします。
大人であれば、押し付けがましさを感じたり、ありがた迷惑であっても、ストレートに口に出したりはしません。
多くの場合、表面上は、「ありがとう」と感謝してくれます。
ですので、依存する側は、役に立ったんだと勘違いして、ますます依存が強くなったりもします。
また、「助けなければ」「役に立たなければ」と義務感になって、疲れたり、欲求不満になります。
まとめますね。
思いやり
- 見返りを求めない(感謝されなくてもOK)
- 自分のできる範囲で助ける
- 相手の自立心を尊重する
- 自由な気持ちで幸福感がある
依存
- 見返りを求める(感謝、愛情、服従など)
- 自分を犠牲にする
- 押しつけがましい、過干渉
- 相手にとって、ありがた迷惑になることも
- 「助けなければ、役に立たなければ」と義務になる
- 疲労感、欲求不満がたまる
- 幸福感を持てない
あなたはどちらでしたか?
本当の気持ちには、気づきにくい
依存に陥らないためには、自分の本当の気持ちを、しっかり、把握する必要があります。
でも、本心って、なかなか気づきにくいのです。
それで皆さん、苦しんで、カウンセリングにいらっしゃるわけですね。
また、依存と思いやりの気持ちは、混ざる場合が多いです。
これも、本心に気づきにくい原因の1つです。
100%の依存というのは、あまりありません。
大抵は、ある程度、思いやりの気持ちが入っています。
子供に過干渉・過保護な親だって、純粋に子供に対して思いやりの気持ちが含まれているケースが、ほとんどです。
ですので親は、
「自分は子供のことを想っている!」
と、勘違いしてしまうのですね。
依存か、思いやりか。
この違いは、プロでないと、なかなか判別が難しいです。
不安な方は、一度、カウンセリングにいらして下さいね。