「善友」の存在で、心が強くなる
「善友」
とは、仏教用語です。
ブッダは、この「善友」の存在が、とても大切だと説いていました。
心の苦しみから解放されるためには、善友の存在が全てだ
とまで、言い切られているのです。
でも、「善友とは」ただ単に、
- 仲が良い友達
- 分かり合える関係
- 励まし合う関係
ということでは、ありません。
つい先日、クライアントさんから、
「善友」に関係しそうなコメントを頂いたので、
ご紹介したいと思います。
クライアントさんから頂いたコメントは、
心を扱う練習についての内容になります。
クライアントさんから頂いたコメント
幼児(3、4歳くらい)が
自転車の補助輪を外して
自分でこいで乗る練習をしていて、
じゅんさんが、自転車の後ろを持って下さってるイメージが浮かび、
本当に感謝しかありません。
自転車をこぐコツがわかり、練習していけば、ペースは違えど、
必ず誰でも、一人で自転車に乗れる様になる
ので、気が楽になりました。
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※このコメントを頂いたあと後、
更にもう少し詳しい内容を、送って下さいました▼
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自転車の練習していて
後ろを振り向かずに自転車をこいで乗れるようになり、
じゅんさんは何も言わずに、後ろから見送って下さるイメージが出てくると、
涙がこみ上げてくるんです。
たぶん、じゅんさんへの感謝と、じゅんさんとお別れするのが寂しいのと、
過去に頑張ってきてくれた自分の感謝
がわき出てくるんのかなぁ、
と自分なりに解釈しています。
自転車の補助輪で乗っている時
(心を俯瞰して観察する練習を行うまで)
のじゅんさんは、
補助輪を外せる段階まで、横で見守って、
「大丈夫だよ、大丈夫だよ、うまく乗れてるよ」
と寄り添って下さってたんだなぁ、と自分の中で思いました。
ー--
とても詩的で素敵な内容だったことと、
イメージしやすくてわかりやすいので、
ぜひ、皆さんにご紹介したいと思いました。
この文章を読んだ時の感想が、
「このクライアントさんにとって、私は善友で、
私にとって、このクライアントさんは、善友だ」
というものでした。
たとえ、一度も会ったことが無くても、
同じ時代に生きていなくても、
「善友」になり得ます。
なぜなら、共通のもので、心が繋がっているからです。
コメントを頂いて、
このクライアントさんも、他のクライアントさんも、
お会いしたことは無くても、こうしてメルマガ等で私を知って下さっている方も、
皆、私にとって「善友」だな
と、感動しました。
ステキなコメントを下さったクライアントさん、ありがとうございました☆彡
「善友」がどういうものかは、次回のセミナーで詳しく解説したいと思います。
セミナーの詳細は、下記からどうぞ▼