慈悲の心で日本を救ったスリランカ ~ジャヤワルダナ氏の演説よりブッダの言葉~
ウクライナ情勢は、ますます混迷を深めていますね。
そこで今回は、第二次世界大戦後、日本に対してスリランカが取った行動をご紹介し、
私達が何をすべきかを考えたいと思います。
ジャヤワルダナ氏の演説
1951年、日本と連合諸国との間で、サンフランシスコ講和条約が結ばれました。
その条約締結の場となった会議で、スリランカのジャヤワルダナ大蔵大臣(当時。のち首相・大統領)が、
世界中の人々の心を打つ演説をされたことを、ご存知でしょうか?
スリランカ(当時はセイロン)は、タイ・ミャンマーと合わせて、「仏教三国」と呼ばれるほど、仏教が国全体に根付いている国です。
ジャヤワルダナ氏は、
「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ慈悲によってのみ止む」
というブッダの言葉を引用して、日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行いました。
私が申し上げた一連の事柄は、日本が自由であれば解決され、日本が自由でなければ解決されない事柄だと思います。
(略)
なぜアジアの人々は、日本が自由であるのを熱望するのか?
それは我々が日本と長い年月に亘る関係があるためであり、それは、被支配諸国であったアジア諸国の中で、日本が唯一強く自由であった時、そのアジア諸国民が、日本を保護者として、また友人として仰いでいた時に抱いた、日本への尊敬の念からです。
わがセイロン(現:スリランカ)の人々は、幸運にも直接に侵略されなかったが、空襲や東南アジア軍の下、大量の数の軍隊の駐留による被害など、また連合軍に対する唯一の生ゴムの生産者であり、我が国の重要産業品である生ゴムの大量採取による損害に対して、我国は当然、賠償を求める権利を有するのです。しかし、我々はその権利を行使するつもりはありません。
なぜなら、アジアで何百万人もの人達の命を価値あるものにさせた、
ブッダの「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ慈悲によってのみ止む」
との言葉を信じるからです。この言葉はブッダの言葉で、人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、泰国、インドネシア及びセイロンに拡げ、また同時に北方へ、ヒマラヤを越えてチベットから支那を経て、最後に日本に及んだものです。
その波は、我々を何百年もの間にわたって、共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのです。
この共通の教養は、現在も脈々と存在していることを、私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄ったときに見出したのです。
日本の指導者、国務大臣、一般の人達、そして寺院の僧侶など、日本の庶民は現在も、ブッダの平和の教えに影響されており、その教えに従いたいという希望に満ちている印象を感じたのです。
我々は、その機会を日本人に与えなければならない。
ソ連は日本の自由は制限されるべきだと申し入れているが、今述べた理由で、私はソ連代表の意見を記名し、承諾することはできない。
その他、ソ連の修正条項も興味のあることです。日本の自由について言及しているが、これらの自由は、ソ連の人々自身が享受したいと強く望んでいる自由だということです。
従ってソ連の提出した修正条項に我々が同意することができない理由は、この条約は、日本に宗主権と平等と尊厳をとり戻させることであり、制約をつければ不可能となるからです。
(略)
この条約は、敗北した者に対するものとしては寛容な内容でありますが、我々は日本に対して友情の手を差し伸べましょう。
人類の歴史のこの章をとじるにあたり、今日書いているこれが最後のページとなることでしょう。
そして、明日からまた新しい歴史の章の第一ページを記すにあたり、日本人と我々が共に手を携えて、人類の生命の威厳を存分に充たし、平和と繁栄のうちに前進することを祈念する次第であります。
(出典:在日スリランカ民主社会主義共和国大使館)
慈悲はどうすれば育てられるか
この演説を読んだ時、仏教で示されている「慈悲」をとても感じて、胸を打ちました。
ポイントは3つあると思います。
1.恨み・憎しみを手ばなす
スリランカは、韓国・北朝鮮・中国といった国々と比べれば、日本による被害は少なかったとは思います。
でも、日本に対して、色々な想いを抱いて当然でしょう。
そんな恨みつらみも、スリランカは手ばなした。
恨みや憎しみよりも、共に手を取り合うことを選択したのです。
これから、ロシアがどのような態度を取っていくのか、わかりません。
ただ、ロシアがどのような行動を起こすにせよ、世界がロシアを憎んでいては、本当の平和は訪れないでしょう。
今、世界中が、「ロシア憎し」となっていて、そのことにも危惧しています。
「そんな非道なこと、許せない!」を手ばなして、慈悲の心で、ロシアに接していく必要があると、強く感じます。
もちろん、対ロシアのみならず、日常生活の大小さまざまな事柄に対して、恨み憎しみ怒りを手ばなし、慈悲の心を育てることが大切でしょう。
まずは、日常生活の様々な場面で、怒り・恨み・憎しみといった感情のとりこになっていないか、
とらわれて苦しんでいないか、チェックしてみましょうね。
2.欲を手ばなすと、心が豊かになる
スリランカは、損害賠償を放棄しました。
つまり、損をしても、日本のことを考えてくれたのです。
私達は、損をしない範囲でなら、人に優しくすることは容易です。
でも、損をしたり、嫌な影響を受けそうになると、途端に自分を守ろうとして、優しくできなくなります。
仏教で説かれている「慈悲」は、損得を超えたものです。
損をしても、自分が被害を受けても、関係なく、相手を思いやる気持ちが「慈悲」です。
つまり、自分のエゴ・欲を手ばなしていく必要があります。
損をすることは、一見、苦しく感じます。
でも、本当は、逆なのです。
欲を手ばなせば手ばなすほど、心は穏やかに、満たされていきます。
損害賠償を放棄することを選択したスリランカの人々は、経済的には貧しくでも、心は豊かになったのではないでしょうか。
「日本の人々が、自由であってくれれば、それで良い」
そう思えた時には、心はとても自由に、温かいもので満たされるでしょう。
ウクライナ問題だけでなく、世界中で、経済やら領土問題やらで、国通しの争いが起こっています。
更には、そのような国レベルでなく、個人レベルでも、大小さまざまな争い・行き違いが発生しているのが、世の中の常です。
その根底には、「損したくない。嫌な影響を受けたくない。あわよくば得をしたい」という想いがあると思います。
でも、その時に、「損したって良いじゃないか。そんなことより大切なことがあるさ」という気持ちが持てれば、
「心の穏やかさ・安定さ」が得られるのです。
「損得は置いておいて、相手のことを優先してみよう」
そう考えると、心はとても満たされますよ。
ぜひ、お互い、心を育てていきましょうね。
3.一面だけを見ずに、多面的に相手を「理解」し、良い面は評価する
ジャヤワルダ氏の演説を読んだ時、
「え、日本に対して、そんな見方もできるの?」
と、少々驚かされました。
物事には、様々な面があるということを、この演説を通して学びました。
被支配諸国であったアジア諸国の中で、日本が唯一強く自由であった時、そのアジア諸国民が、日本を保護者として、また友人として仰いでいた時に抱いた、日本への尊敬の念からです。
そもそも日本が侵略戦争に走った根底には、欧米諸国がアジア諸国を植民地にしていく様を見て、
日本も同じ轍を踏まないよう、なんとか強い国にならねば、
という想いがあったことは間違いですよね。
植民地支配されていたアジア諸国から見れば、アジアで一国だけ、被支配者ではなく、支配者であった日本に、羨望の気持ちがあったのかなと、この演説を読んで想いを巡らしました。
ある種、希望のようなものを、日本に感じていたのかもしれないなと。
私が認識していた日本は、
「自分勝手で、現状分析もまともにできない愚かな侵略者」ですが、
別の側面から見れば、
「他国からの侵略をから自国を守るため、外交面で、軍事面で、経済面で、文化面で、教育面でと、様々な面で努力し続けた国」と、捉えることも、可能かもしれません。
今のロシアは、当時の日本を彷彿とさせるような言動が、非常に多いですよね。
一面だけで評価すれば、私が当時の日本に抱いていた
「自分勝手で、現状分析もまともにできない愚かな侵略者」
となるかと思いますが、
別の面でみれば、
「ソ連時代からの様々なゴタゴタを乗り越え、何とか西側諸国に追いつこうと必死で努力している国」
と、捉えることができるかと思います。
とにかく、一面だけで判断せずに、多面的に物事を見て、良い面は大いに評価する。
これも、慈悲に必要な観点だと、強く思いました。
日常生活でも、トラブルや行き違いなどは、こうした
「視点の違いだったり、自分の主観だけに基づいて相手のことを理解しない態度」
で起こると思います。
損得を脇に置き、
「相手は、なぜ、そのような言動を取るのだろう?」
と、冷静に、客観的に、相手を理解しようとする気持ちが、とても大切になる、ということですね。
これが、慈悲に欠かせない心のありようの1つ、ということになります。
今回、3つのポイントを取り上げ、「慈悲」についてご紹介しました。
ぜひ、日常生活で、慈悲の心、育てていきたいですね。
「心を育てる」ということ、とても大切なことでになります。
心を育てないと、私たちは生きづらさの中でもがき、挙句の果ては、戦争にまで発展してしまいます。
次回のオンラインセミナーでは、仏教の観点も取り入れながら、この辺りを詳しく解説予定です。
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